なぜ呼子にクジラがいないのに、クジラの食べ物が造られているんですか?
呼子周辺の海は、実はかつて、冬から春の時期にたくさんのクジラが回遊する場所でした。そこではクジラ漁が行われ、呼子や唐津のたくさんの人たちが携わりました。
呼子近海は、全国でも有数の捕鯨漁場だったのです。
新鮮なクジラがたくさん手に入る呼子だからこそ、クジラを使った数々な食べ物・料理が発展し、松浦漬も生まれたわけです。
松浦漬本舗が建てられたきっかけは、なんですか?
松浦漬本舗が、始まったのは明治時代です。明治43年であり130年前です。君たちの、お爺さんのお父さん時代です。
松浦漬本舗でつくっている食べ物は、何種類ですか?
主に、松浦漬、貝柱・海茸の粕漬です。お陰様で、色んな賞を貰っております。
どこからクジラをとって、今の松浦漬を販売しているのですか?
クジラは、現在は、南極・日本の近郊でとっています。松浦漬の販売先は、主に佐賀県・福岡県・東京都・大阪府です。
松浦漬本舗とはどんなところですか?
酒を造る時、絞った粕を小さく刻んだかぶら骨と一緒に合わせた松浦漬を造る工場です。
松浦漬はクジラのどこの部位を使っているのですか?
クジラの鼻の所にある柔らかい骨・かぶら骨を使用しています。
松浦漬を造ろうと思ったのはなぜですか。漬物にした理由は何ですか?
初代1代目ツルの嫁ぎ先が、造り酒屋でした。当時は、呼子は、捕鯨が盛んでしたので、呼子朝市で、鯨肉などクジラの食べ物をリヤカーにて売っておりました。かぶら骨だけは、利用価値が無く、困っておりましたが、一代目は、どうにかして利用できないかと考え松浦漬を造り始めました。当時の苦労は、現在残っている愛宕神社の鳥居として残っています。
なぜ、クジラの料理を作ろうと思ったのですか?(松浦漬以外も含む)
クジラは、どの部分でも食べ物と利用出来ますが、かぶら骨だけは、食べられませんでしたのでどうにかして食べられないかと考え造り始めました。この「もったいない」精神は、松浦漬本舗の言い伝えの心になっております。
呼子捕鯨について教えてください。
小川島を中心とする呼子近海でのクジラ漁は、今から3〜400年くらい前から64年前(昭和35/1960年)頃までつづきました。江戸時代にはたくさんの手漕ぎ船でクジラを追って巨大な綱に追い込み手投げ銛を打つ方法にかわりました。呼子近海で冬から春の時期に目視で発見したクジラの数としては、おおよそ200頭前後だった記録があります。多い年では288頭(1893年)と言う記録があります呼子近海で1年間に取られたクジラの数は、平均するとおおよそ30頭前後だったようです。多い年では73頭(1825年)と言う記録があります。